福岡市から気軽に行ける離島として人気の壱岐島。
透き通った青い海、対馬暖流による温暖な気候、海上交通の要衝として数多く残る歴史遺産、玄界灘の海の幸・壱岐牛・壱岐野菜など美味しい料理、昔ながらの変わらぬ生活や町並み など魅力溢れる離島として注目を浴びています。
大物が狙えることで有名な釣り、約1,000あると言われる神社、長崎県の6割を占める古墳、玄界灘の荒波で形成された風光明媚な景勝地、イルカと触れ合える「イルカパーク&リゾート」、故黒川紀章氏設計の「一支国博物館」、国の特別史跡として全国に3ヵ所しかない弥生遺跡「原の辻遺跡」など、夏のハイシーズンだけでなく1年中魅力に溢れています。
今回は第一弾として【歴史観光編:原の辻遺跡・古墳群・勝本城】をお届けいたします。
※一部を除き 写真提供:壱岐市観光連盟・壱岐市教育委員会・長崎県観光連盟
※ブログを書くにあたり一般社団法人 壱岐市観光連盟様と、壱岐の自然と文化遺産研究保存会様
のホームページを参考に引用させていただいております。
REMAINS遺跡
日本を代表する遺跡「原の辻遺跡」
『魏志倭人伝』に記された「一支国(いきこく)」の王都に指定された遺跡。
紀元前2~3世紀から紀元3~4世紀(弥生~古墳時代初め)にかけて形成された大規模多重環濠集落で、東西、南北とも1㎞四方に広がっています。
古代史を書き換えるような発見が相次いでおり国指定重要文化財「人面石」や日本最古の船着き場、住居跡が確認されています。
登呂遺跡(静岡県)、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)と同様に国の特別史跡に指定されています。
隣接する「原の辻ガイダンス」では、土器作り・火起こし・勾玉作りなどの体験を楽しめます。
何と入場は無料です!
原の辻遺跡の地図はこちらから
ANCIENT TOMB古墳
壱岐を代表する古墳
6世紀後半から7世紀前半に造られた古墳が256基も残存!
副葬品は、中国産・新羅産の遺物が多く見られ、東アジア交流の様子も色濃く残しています。
壱岐島中央部の古墳群で主要な6基が国の史跡に指定されています。
「壱岐風土記の丘」から1Km以内に壱岐の代表的な古墳が点在していますので、拠点にオススメです。
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壱岐風土記の丘
(古墳群の拠点)
地図はこちら
古墳時代から江戸時代までの壱岐の歴史を学べる施設。
【古墳館】国史跡「壱岐古墳群」に関する概要や位置情報を詳しく紹介しています。
【古民家園】
18世紀の百姓武家屋敷を移築した古民家展示園です。
入園料:大人 100円
:中学生以下 50円
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双六古墳
地図はこちら
長崎県最大の古墳で、形状は前方後円墳。
副葬品は国の重要文化財に指定されています。
・全長:91m
・後円部高さ:10.6m
・石室全長:11m
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掛木古墳
地図はこちら 円形古墳
長崎県で唯一の「くり抜き式家計石棺」を持つことで有名です。
南北:22.5m
東西:18m
(元々は直径28~30mと推定)
石室全長:13.6m
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鬼の窟古墳(おにのいわや)
地図はこちら 壱岐島を代表する巨石墳で形状は円墳。
直径:45m
高さ:13m
石室全長:16.5m(長崎県で最長)
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笹塚古墳
地図はこちら 円盤状の台座に直径約40mの円墳がのった二段構造の古墳です。
亀形飾金具をはじめ数多く出土し、162点は国の重要文化財に指定されています。
鬱蒼とした森の中にあり、非常に神秘的で石室まで入ることができます。
直径:66m
高さ:13m
石室全長:15m
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百合畑古墳園
地図はこちら 百合畑古墳群は、百合畑1号墳~百合畑23号墳まであり、その中の一部が「百合畑古墳園」として公園整備されています。
MUSEUM博物館
故黒川紀章氏の遺作で有名な「一支国博物館」
原の辻遺跡を一望する小高い丘に建ち、故黒川紀章氏が設計した有名な博物館です。
250基を超える古墳を含む約500箇所の遺跡の貴重な出土品を展示しています。
地図はこちら
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斬新なデザインの一支国博物館
緩やかな曲線を描いた屋根は全面緑化され、周辺の山並みに溶け込んでおり、カメラにおさめる人が後を絶ちません。
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常設展示場
原の辻遺跡をはじめ、島内に点在する遺跡や古墳から出土した実物資料を約2,000点展示。
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3階芝生広場
広大で開放的な天然芝の広場からは、眼下の風景や山並みを一望。
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展望室からの絶景
原の辻遺跡、深江田原、内海湾、岳の辻など360度一望できる展望室。
CASTLE太閤秀吉の「勝本城」
勝本港や対馬を望む絶景の丘に1591年、豊臣秀吉が朝鮮出兵に際し平戸藩主・松浦鎮信に命じ、長崎の諸大名が結集して4ヵ月で完成させたとされる国指定史跡です。
朝鮮出兵のためだけに築かれたため、秀吉の死後は破城され、現在は城山公園とし整備し、桜の名所としても親しまれています。
僅かに残った大手門の石垣が往時を偲ばせ、展望台からは勝本港や遠く対馬が見えます。
築城のスピードもさることながら、その技巧は当時の最高峰とされる屈指の名工で石垣造りのプロ「穴太衆(あのうしゅう)」の技術が生かされた石垣は、大きく形をかえることなく当時の姿を残しています。
また、魔除けや権力の象徴として城の石垣に通常は1つだけ使用される巨大石「鏡石」が4ヵ所にもあります。
秀吉没後に兵は朝鮮から撤退し、朝鮮との関係改善のため肥前名護屋城と同じく城を取り囲む石垣は壊されます。
石垣の角を崩す「破却」を見せることで城がその機能をなくした事を対外的にアピールするためです。
破城後は、海上安全と勝利のために山頂に建てられた稲荷神社に多くの人が参拝に訪れます。
また、松尾芭蕉の高弟で壱岐で客死した河合曽良の墓もあります。
地図はこちら
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山頂
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案内板
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本丸跡
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鏡石
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破却された石垣
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展望台からの眺望
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信仰の場
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稲荷神社
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河合曽良の墓
OLD BATTLEFIELD古戦場跡
壱岐は鎌倉時代に2回「文永の役」・「弘安の役」で元軍の襲来を受けました。
島内は戦場と化し多くの人が殺され、今でも多くの元寇にまつわる史跡が数多く残っています。
太平洋戦争では、対馬海峡を通る艦船に対する日本軍の巨大な砲台が設置されており、砲台跡が残っています。
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「文永の役 新城古戦場」新城千人塚
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1274年(文永11年)におきた文永の役で、元軍は勝本町の浦海(うろみ)と天ヶ原の両海岸に上陸し、壱岐の守護代 平景隆の居住がある新庄(真城)に攻め込みました。
この辺りは最後の激戦地であったとみられ、その一画に千人塚があります。
千人塚の中央に元寇殉国忠魂塔が建ち、両脇に観音像と標石である自然石が2基あります。
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新城神社(樋詰城跡)
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新城神社は、文永の役で戦死した壱岐の守護代・平景隆の本陣であった樋詰城跡にあります。
元軍の総攻撃を受けた景隆は、樋爪城内で一族郎党とともに自害して果てたと伝えられています。
景隆をはじめ、元寇で殉難した将兵諸神を安置しています。
近くには、文永の役新城古戦場跡があります。
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少弐資時の像
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文永の役で大宰府守護を務めた少弐影資の甥で若干19歳の少弐資時が壱岐の守護代を命じられます。
1281年、2度目の元軍襲来は「弘安の役」と呼ばれ、4万の大軍で瀬戸浦から上陸しました。
瀬戸浦を見下ろす高台に居城する少弐資時が元軍を迎え撃ち奮戦しましたが、全身血だるまとなり壮絶な最期を遂げたと伝えられています。
芦辺港フェリーターミナルの前に高さ6mの銅像が平成13年に建立されています。 -
少弐公園
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【少弐資時の墓】
瀬戸浦を見下ろす少弐公園の中にお墓があります。
古くから壱岐の人々に「ショウニ様」と呼ばれ親しまれてきた石積みの塚で、少弐資時の墓として祀られています。
【元寇の碇石】
左京鼻沖で発見された中国製の石。
防人ののろし台跡も公園内にあります。
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瀬戸浦千人塚(少弐の千人塚)
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壱岐市内に6ヵ所確認されているうちの、「弘安の役」で元軍が上陸し激戦地であった瀬戸浦古戦場にある千人塚。
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少弐資時の像
芦辺港フェリーターミナル
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少弐資時の墓
少弐公園
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元寇の碇石
少弐公園
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防人ののろし台跡も
少弐公園
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「文永の役元軍上陸地」の碑
聖母宮横
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瀬戸浦千人塚(少弐の千人塚)
勝本町
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黒崎砲台跡
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猿岩から歩いて2分の小高い丘にあります。
砲台の口径約41㎝、砲身の長さ約18m、弾丸の重さ約1t、東洋一と言われた巨大な砲台です。
昭和3年から6年の年月をかけて昭和8年に完成。
ただ1度だけ試射が行われたのみで、実戦で使用されることなく終戦後に解体されました。
現在は跡地のみが残る戦争遺産となっています。
※正面入口は途中から崩落の危険から立入禁止となっており、猿岩売店横の細い道を登れば、砲台跡を上から見学できます。
本来は、歴史観光編として1回でまとめる予定でしたが、あまりにも膨大な壱岐島の歴史史跡や神社仏閣に、2回に分けることにしました(泣)
次回の歴史観光第二弾は神社仏閣を中心にご案内したいと思いますので、楽しみにおまちください。
※ただ今、ビッグストーン・ツアーズでは、福岡県・佐賀県・壱岐島を中心に北部九州の知られていない絶景スポット・パワースポットなどのツアー作成中です。
10月半ば頃公開予定なので、ご期待ください。